富士山麓 滝ヶ原
佐藤与平治宅
中央 与平治
父母下山せし折、この家に約一ヶ月滞在静養せしとのこと。
厚記*
明治卅四年一月二十九日自写之
野中千代 三十才*
明治34年おのれ三十路になりける春1月29日たはむれに乙めによそふてうつす 千代/ 種校両号庚1062*
明治34年1月
おのれ三十路になりける春1月29日たはむれに乙めによそふてうつす 千代
種版 14号 庚 1063 *
明治34年1月下旬写
園子7年7ヶ月
左より2人目
只円
園子
いと子(只円氏の妻)
明治26年7月26日生于東京
同34年7月18日卒于福岡
明治34年4月
野中園
7年10ヶ月 *
明治34年4月22日、写
喬
千代子
浪子(清の妻)*
是は去6月中写せしにものに有之
御慰みに奉謹御笑覧候
明治34年6月21日庭前に於いて
戯にうつす
至 *
智恵子 7ヶ月 *
前右から
琴子
富子
後ろ左
千代子 *
恭子
小石川植物園に於て大学総理渡辺洪基氏再婚披露園遊会の余興を見とれるを友人窃に撮影して寄贈せしもの *
明治39年4月於横濱写す
智恵子
到
進呈
清、到
1908年(明治41年)4月16日
野中智恵子 5才4ヶ月
厚 1年6ヶ月