コラム2

野中到と廣瀬潔


 

 富士山測候所の設立には明治の気象学者、野中至・千代子夫妻の英雄的な秋冬季観測がそのもとになっていることは、新田次郎の小説「芙蓉の人」にも取り上げられた有名な話です。

 その後、野中さんの活動を陰で支えていたのが、三井銀行に勤めていた広瀬潔さんでした。銀行員としての仕事の傍ら富士山にたびたび登り、山岳気象研究の草分けとして知られています。野中、広瀬さんの友情は、家族同士の付き合いに発展しました。

 1932年、第二次国際極年に1年予算で富士山頂の観測が行われ、72年間の有人観測に続くのですが、開始時は予算の裏付けがなく、後の名物測候所長・藤村郁雄さんら若い技術者が、食料を運びクビを覚悟で越年観測のため山に残りました。その熱意に応えて金策に走り回った岡田武松中央気象台長を、広瀬さんの縁で「三井報恩会」が金銭援助したのです。34年には「測候所閉鎖の難を免る」と新聞で報じられました。

 2007年以来、私たちが行っている旧富士山測候所の活用経費は、年間3千万円近くになります。海洋研究開発機構との共同研究や国立環境研などからの委託事業、年賀寄附金に支えられ、10年からは三井物産環境基金の助成が中心です。

 3年間の助成が今年10月初めに再度認められたときは80年前の技術者たちの感動もかくやと思いました。団体は違いますが同じ「三井」の名に縁を感じています。  

 

*2013 年(平成25 年)11 月12 日(火)東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」

*中日新聞/東京新聞夕刊コラム『紙つぶて』に2013年7月から12月までの6ヶ月間、その火曜欄の執筆を担当。全26回にわたる同コラムは各方面から大きな反響を呼びました。