認定NPO法人富士山測候所を活用する会のオフィシャルブログ『太郎坊のそよ風』の中から、特に『芙蓉日記の会』の活動や富士山測候所の歴史に関連する投稿を中心にご紹介しています。
『ようこそ!富士山測候所へ』の著者・長谷川敦氏のコラム『日本のてっぺん!富士山測候所』が「しんぶん赤旗」に4回にわけて連載
野中至・千代子の壮絶な82日間の滞頂観測は、小説やTV番組で有名ですが、現在、開催中の東京理科大・近代科学資料館の企画展では歴史的検証に耐える資料を扱っています。それらの情報も加えて、長谷川敦氏が書き下ろし、富士山測候所の歴史の真実と現状に迫るコラムです。
2024年11月9日
ブログ 太郎坊のそよ風
東京理科大学 創設者シリーズ-2 企画展『富士山観測』(その3) 和田雄治と野中至・千代子との接点
和田雄治については、野中至・千代子との接点があり当NPO法人富士山測候所を活用する会も資料展示に協力しています。1895年(明治28年)の野中至・千代子の富士山観測は、当時気象台予報課長であった和田雄治との関係を抜きにして語ることはできません・・・
2024年10月28日
ブログ 太郎坊のそよ風
東京理科大学 創設者シリーズ-2 企画展『富士山観測』(その2) 内覧会から
東京理科大学 創設者シリーズ第2弾 企画展『富士山観測』がいよいよスタートします。9月26日(木)からの一般公開を前に25日(水)報道機関に向けた内覧会があり, 本NPOも協力機関としてお招きを頂きました。1895年富士山頂で使われた温度計や単眼鏡(野中氏提供)、後年観測に使われた自記気圧計(佐藤政博顧問提供)に加え・・・
2024年9月29日
ブログ 太郎坊のそよ風
「研究者集う富士山頂」8月24日毎日新聞夕刊3面にNPOの記事が掲載
「研究者が集う富士山頂 旧富士山測候所の無人化から20年」というタイトルで、6月のNPO東京事務所でのインタビューと山頂(7月23日、24日)での取材などを通して纏められた手塚耕一郎記者の記事が、毎日新聞8月24日夕刊3面の全面を使って掲載されました。・・・
2024年8月28日
ブログ 太郎坊のそよ風
6月4日(日)の東京新聞に「受け継ぐ『遺産』」と題して、世界文化遺産登録10年を迎えた富士山でのNPO富士山測候所を活用する会の活動が紹介されました
最高峰は自然観測の場としても重要視された。1895年に気象学者の野中至が私財を投じて観測小屋を建設。その後、「中央気象台富士山頂観測所」となり、(途中略)土器屋由紀子理事(84)は「地球の現状を知る上で大切な施設。維持コストに苦労するが、受け継いだ遺産を今後も絶やさず活用したい」と話す。
2023年6月5日
ブログ 太郎坊のそよ風
本日は、大正12年(1923年)2月22日に亡くなった千代子の没後100年を迎えています。富士山測候所の基礎を作った野中至(到)・千代子夫妻について私たち芙蓉日記の会は夫妻の偉業を歴史的な事実を踏まえて正しく知らせるために、その関連資料を展示するWeb上のデジタル資料館...
2023年2月22日
ブログ 太郎坊のそよ風
芙蓉日記の会ミーティングから(その2) 富士山は思い出深い”職場”…札幌気象台から志願して富士山測候所へ
札幌で気象庁(札幌気象台)に入りました。最初は観測、通信システム関係の整備保守管理に携わっていました。そのうちに世界に誇る富士山レーダーが日本で設置されたということもあり、いつかは自分もいつか携わりたいという希望をもっていました。・・・
2022年12月2日
ブログ 太郎坊のそよ風
芙蓉日記の会ミーティングから (その1) 新たに山本正嘉・鹿屋体育大教授が参加
文化の日の11月3日(木)、芙蓉日記の会の第11回目となるミーティングをNPO東京事務所で行いました。コロナ禍でなかなか集まれないでいましたが、今回は 来日中のMartin Hood氏も東京事務所で対面初参加、新会員の山本正嘉NPO副理事長が鹿児島からzoomで加わり、参加者は全部で9名に。久しぶりににぎやな集まりになりました。・・・
2022年11月16日
ブログ 太郎坊のそよ風
「週刊現代」連載《情熱の時代》「週刊現代」連載《情熱の時代》富士山測候所-日本の気象を見つめた天空の守りびとたちの記-の取材で証言
NHKで2000年から2005年まで放映された人気ドキュメンタリー番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」。200回近く放映されたこの番組の第1回目は、富士山測候所にレーダーを設置する男たちの物語でした。・・・
2022年10月13日
ブログ 太郎坊のそよ風
"Eighty-Two Days on Mt. Fuji" …米国の山岳誌『Alpinist』に野中至・千代子の偉業を紹介
雑誌『Alpinist』は2002年にアメリカで創刊された世界的に有名な山岳関係者の季刊誌です。この度 Martin Hood氏が "Eighty-Two Days on Mt. Fuji" (富士山頂の82日間)と題して野中至・千代子の山頂観測を最新号である2022年夏号に発表しました。・・・
2022年8月10日
ブログ 太郎坊のそよ風
4月24日は久し振りの開催となった「芙蓉日記の会」の打ち合わせでした。事務所に4名、画面には、スイス1名、金沢1名、つくば1名、千葉県1名と国際的なミーティングといっても Martin Hoodさんは日本語ができるので、会話はもっぱら日本語で)でしたが、一同がその場で居合わせているのと同じような感覚で、何ら違和感なく使用することができました。・・・
2022年6月3日
ブログ 太郎坊のそよ風
四次元のジオラマ!? 120年の時空を超えてよみがえる富士山頂のロマン
ジオラマは「出来事を切り取って三次元に表現した模型」(diorama. a model representing a scene with three-dimensional figures, either in miniature or as a large-scale museum exhibit - Oxford Dictionary)のことで「情景模型」とも言われています。実は富士山測候所のジオラマにはちょっとした仕掛けが設けてあり、・・・
2022年4月21日
ブログ 太郎坊のそよ風
125年前の新聞記事…野中至の厳冬期富士登山を伝える貴重な記録ほか
資料は、当時の新聞コピーで、野中至が冬の富士山の状況を調べるために1896年(明治28年)1月、2月という厳冬期に富士山に登った記録を伝える新聞記事コピーです。日本山岳会の『覆刻 解題注』に書くために40年ほど前に国会図書館で調べたもので、国会図書館では当時の新聞はマイクロフィルムになっていて、それをどこに何が書いてあるのか、わからない、という状態のなかで探し出して該当箇所のコピーを頼む、という汗みどろの作業の結果のものです。
2021年12月12日
ブログ 太郎坊のそよ風
Webで見られる!!「野中至(到)・千代子資料館」の看板を付け替えました
Zoom会議やメールによる議論を経て、2020年11月20日、『野中至(到)・千代子資料館』として看板を付け替えました。今後も英文の説明などを加えて、資料館の充実を図って行く予定です。ご期待下さい。・・・
2020年12月23日
ブログ 太郎坊のそよ風
今日8月30日は「富士山測候所の日」 “富士山測候所と野中夫妻"について内閣府首相官邸公式SNS "JAPAN GOV" で発信されました!!
先日、内閣府首相官邸公式のSNSアカウント『JAPAN GOV』より、Twitterとfacebookで富士山測候所と大日本気象学会・野中到、千代子について紹介する記事を投稿したいとご連絡を受けました。
2020年08月30日
ブログ 太郎坊のそよ風
『岳人』に新田次郎の小説でたどる山④『芙蓉の人』>>> 富士山 と題して、NPOの活動と芙蓉日記の会が取り上げられました
事務所に1本の電話が、掛かってきました。「山岳雑誌『岳人』の編集部のモノです。『岳人』7月号(6/15発売)では新田次郎氏の作品を特集する予定でして、その中で『芙蓉の人』と富士登山について取り上げる予定です。具体的には、『芙蓉の人』の作品解説と明治28年当時の冬の富士山への登頂を振り返るものです。資料について紙面で使わせていただけないでしょうか?」とのことでした。
2020年07月06日
ブログ 太郎坊のそよ風
福岡で行われた日本気象学会2019年秋季大会レポ(その2)ゆかりの地で研究発表を行った偶然
公益財団法人・黒田奨学会の田中崇和(takakazu)事務局長から、NPOのホームページにメールをいただいたのは、10月26日です。田中様は、本NPOの野中到・千代子資料館を興味深く見てくださったこと。「昭和11年9月25日の「野中 到」氏の消息が分かる記事がありましたのでご報告。」という内容のご連絡でした。
2019年11月18日
ブログ 太郎坊のそよ風
福岡で行われた日本気象学会2019年秋季大会レポ(その1)旧富士山測候所の気象学での役割
ポスターの後ろでは、「山岳観測の結果は日本の気象学の発展にどれだけ寄与したのかね?」という二宮洸三・元気象庁長官のシビアなご質問に、「私は気象学者ではなく化学屋ですが、ハワイのマウナロア観測所ももとは小さい測候所だったのがいま世界の温暖化問題のメッカになっています」と応戦してみました。・・・
2019年11月07日
ブログ 太郎坊のそよ風
「野中到・千代子資料館」のホームページを全面リニューアル公開 多数の未公開資料を加えて再構築、デジタルアーカイブ化
私たち「芙蓉日記の会」は本日、新しいホームページ「野中到・千代子資料館」を公開いたします。明治28年の冬期における観測資料、野中到・千代子の年表、写真など多数の未公開資料を、バーチャル博物館の一部に新たに加えて、再構築し全面リニューアルしています。
2019年08月30日
ブログ 太郎坊のそよ風
本NPOホームページの「野中到・千代子資料館」に「野中千代子は気象学会員だったか?」という疑問を載せています。先日、逗子の野中勝氏のお宅を気象研究所の山本哲氏、佐藤監事、土器屋の3名で再度訪問し、資料を見せていただいたおりに、山本氏から、気象学会の機関誌『天気』2018年8月号、「情報の広場」の記事の中で示された明快な解答の説明がありました。
2018年09月07日
ブログ 太郎坊のそよ風
あすは何の日・・・ 富士山測候所スタート
8月30日 1895年のこの日は、気象学者の野中到氏が富士山山頂に自費で測候所を開設。1932年から通年観測を始めた気象庁の富士山測候所の前身となった。
2018年08月30日
ブログ 太郎坊のそよ風
野中山の「野中到・千代子顕彰碑」と御殿場市に新しくできた『樹空の森』を見学
8月1日午後、太郎坊で無事に爆弾処理(山頂のトイレ廃棄物をこう呼んでいます)をすませた御殿場班宮城さんにお願いして、佐藤監事と土器屋は帰り道に野中山の「野中到・千代子顕彰碑」と御殿場市に新しくできた「樹空の森」を見学しました。
2018年08月05日
ブログ 太郎坊のそよ風
新田次郎の小説「芙蓉の人」には、入会を希望して会費を送った千代子の手紙が、返送されてくることが書かれている。しかし、この小説は名著であっても、細かいところでは必ずしも史実に忠実ではない。
2018年 月 日
ブログ 太郎坊のそよ風
日本気象学会の会員誌『天気』に「野中到・千代子資料館」の記事が載りました
私たち「芙蓉日記の会」は本日、新しいホームページ「野中到・千代子資料館」を公開いたします。明治28年の冬期における観測資料、野中到・千代子の年表、写真など多数の未公開資料を、バーチャル博物館の一部に新たに加えて、再構築し全面リニューアルしています。
2018年07月04日
ブログ 太郎坊のそよ風
私たち「芙蓉日記の会」は本日、新しいホームページ「野中到・千代子資料館」を公開いたします。明治28年の冬期における観測資料、野中到・千代子の年表、写真など多数の未公開資料を、バーチャル博物館の一部に新たに加えて、再構築し全面リニューアルしています。
2018年06月15日
ブログ 太郎坊のそよ風
バーチャル博物館に「野中到・千代子資料館」オープン…貴重な資料を展示
私たち「芙蓉日記の会」は本日、新しいホームページ「野中到・千代子資料館」を公開いたします。明治28年の冬期における観測資料、野中到・千代子の年表、写真など多数の未公開資料を、バーチャル博物館の一部に新たに加えて、再構築し全面リニューアルしています。
2018年03月19日
ブログ 太郎坊のそよ風
明治28年、富士山測候所の魁となる山頂での冬季観測を創めた野中至・千代子ご夫妻の名前は、同測候所に関心を持つ方ならご存知のことと思います。昨年、不思議なご縁で、ご夫妻のお孫様である野中勝様と蔭山幸子様にお会いすることができ、貴重な証言と資料に接する機会をいただきました。・・・
2018年1月11日
ブログ 太郎坊のそよ風
富士山測候所の歴史を語る上で避けて通ることができないのが、民間気象学者、野中到である。死を覚悟してまで、富士山頂剣ヶ峯に観測所を建て越冬して気象観測をしようとした、いわば富士山測候所の生みの親である。そして、その夫を追って厳冬期の富士山に挑んだ妻の千代子。1895年(明治28年)というから今から120年前のことになる。
2014年07月27日
ブログ 太郎坊のそよ風
富士山測候所の設立には明治の気象学者、野中至・千代子夫妻の英雄的な秋冬季観測がそのもとになっていることは、新田次郎の小説「芙蓉の人」にも取り上げられた有名な話です。その後、野中さんの活動を陰で支えていたのが、三井銀行に勤めていた廣瀬潔さんでした。・・・
富士山頂は火口を囲んでいくつかのピークを持つ丘が連なっている。その中で一番高い剣ケ峯に富士山測候所がへばりつくように建っている。東に下ると浅間大社があるが、その先の東安河原に旧佐藤小屋という岩室があった。・・・